無垢な時代に生きた無垢な人の物語:映画「風立ちぬ」を観て

僕が強く心を惹かれる人は、いつも男女を問わず「いびつな人」だ。アンバランスなエネルギーの純粋さと危うさ。「あなたはいびつな人でとても魅力的だ」と言っても女性は口説けないので、もう少しきれいな言い方で「無垢な人」と言う。無垢さはいつもいびつさをはらむ。無垢さは純粋なエネルギーとなり、その人を突き動かす。この映画の主人公は無垢な人だ。無垢な人はごく普通の人と、そのエネルギーゆえ生きていく上での優先順位が全く違う。
恋愛は誰もが無垢になる時間だ。すべてにそれが優先する。主人公に恋する女性も無垢な人だ。しかし彼女の無垢さが一心に向かっても主人公の優先順位一位は変わらない。しかし主人公にとって優先順位二位であっても彼女は自分の無垢さに殉じる。無垢さは時に美しく時に残酷なのだ。
彼が生きた時代、美しく速く自由に空を飛ぶ飛行機を作りたいという彼の無垢なエネルギーを、彼とは全く違った理由で強く後押しするエネルギーがあった。日本という国が抱えていたいびつさと彼の無垢さは重なり合い、しばしの蜜月を過ごし、傑作と語り継がれる飛行機を産む。しかしやがてそれは無垢がゆえの罪と罰を引きよせ、無垢な時間の終わりと共に、彼の飛行機作りの夢も途絶えてしまう。すでにこの世にいない彼を愛した女性の無垢さは、それでも彼に「生きて」と語りかける。
この映画は巷でウワサされているような反戦映画でもないし、戦争賛美映画でもないと僕は思う。観る人の視点によって全く違った余韻を与える映画だ。「おもしろかったですか?」と問われると答えにくい。ただ先週末にこの映画を観て、今週ずっとこの映画のことを考えていた。僕にとってそういう映画だった。とても美しい映画(映像もストーリーも)であったことは間違いない。


以下、余談というか蛇足というか(多少ネタバレ含む)。

映像は期待に違わず素晴らしかった。関東大震災のシーンは311をリアルに体験した人には観るのがちょっとつらいかもしれないくらい。飛行機が飛ぶシーンはどれも美しい。
一箇所、鳥肌が立ったシーンがあった。全く重要なシーンではないのだけれど、主人公が軽井沢で雨に降られるシーンがある。空に雲が広がり、地面にポツリポツリと雨が落ちてきて、やがて豪雨となる。空に雲が広がるシーンの前だった後だったか、高原のごく緩やかな斜面に霧がさあーっと広がるシーンがあった。湿度が高い高原で急に気温が下がると霧があっという間に広がる。そんなシーンをここにはさむジブリの仕事はやっぱりすごい。

庵野秀明監督の声優起用は功罪両方あり。某所で話題になっていたようだが、確かにエンジニアの人って、ああいう話し方をする人が多い。その意味でそのリアルさに違和感はない。ただ、周りが声優さんなのでどうしても声のトーンの差が目立ってしまう。彼の起用は宮崎駿監督のある種の「無垢さ」だったのだろうか。個人的にはうまいへたの前に「庵野秀明が声をあてている」という事実そのものがどうしても気になって気が散ってしまった。

ユーミンの「ひこうき雲」は確かにこの作品にマッチしている。しかしユーミンの曲と長い長い時間を過ごしてきたファンとしては、なんだか最後にこの曲が流れてくると気恥ずかしくなった。マッチしすぎていたからだろうか。

この映画を観る少し前に「コクリコ坂から」を観ていたせいか。この映画でも昭和の人の佇まいの美しさに惹かれた。「コクリコ坂から」は昭和三十年代だが、この映画で描かれているのは大正末期から昭和初期。でも昭和三十年代生まれの僕にはこの映画で描かれている「昭和」も懐かしさを感じる。美化されている部分もあるけれど、この映画に登場する昭和の人は皆背筋が伸びていて、美しい言葉を話す。背筋を伸ばして美しい言葉を使うだけで人は誰でもちょっと素敵になれると思う。誰の言葉だかわからないけれど「美しい言葉遣いはお金のかからないおしゃれ」なのだ。