人が生きた証、彼が走った証

pedalfar2009-10-19

前回のエントリーのブクマに「人が生きた証」というタグをつけてくれた方がいる。それを見て「ああ、そうか!」と気がついた。気付きを与えてくれたその方に感謝したい。

そう、前回紹介したBlue-Periodさんのエントリーはまさに「彼が走った証」なのだと気がついた。だから心を打つ。只のツーリングレポートでも走行記録でもない。人の心を打つ「なにか」はそれだろう。自転車ブログに限らず、さまざまなブログ、いや、ブログに限らない、きっと人からアウトプットされてこちらが見聞きするものすべてがそうなのだと思う。

おもしろい文章は常に客観、主観のバランスがとれているように思う。客観的な文章はこちらもそういう読み方をする。主観的な文章は少し内容を割り引いて読む。そんな感じだろうか。そのバランスがとれている文章はおもしろい。そのこと自体に興味があって知識として吸収したい、或いはその事実自体が興味を引くものなら客観的な文章も楽しめる。主観的な文章も書き手に強い興味があればおもしろい。或いは卓越した文章力がその人にあるのならば。

このバランスのとれた状態からから主観的な方向に振れていく、つまり書き手の個性が色濃くなっていくときのさじ加減が難しい。ちょっとシニカルになったり、優しさがにじみ出たり、或いは勢いのある突っ走るような文章になったり。

自転車の走行記録やツーリングレポートは客観と主観のバランスをとりやすいテーマなんじゃないだろうか。走ったコース、走行距離、走行時間、平均速度。心拍数ですらデータとして簡単に残すことが出来る。そのデータは自分が肉体を使って走り体験したことのデータだ。そこにその人の個性がのればおもしろい文章になる確率は常に高い。

「ロード乗りはエンジニア多いよねー」と数日前にtwitterで話題になった。理系の人がハマりやすい要素が自転車には沢山あると思う(このことは一冊目の本にも書いた)。そっち方面の人が多いせいだろうか。走行日記やツーリングレポートも淡々とした客観的傾向の書き方をする人が多いように思える。コースの情報として読むならば淡々としたツーリングレポートもいいだろうけど、でもやっぱり書き手の個性がもっと出ているほうが読んでいて楽しい。

どちらかというと僕自身も淡々と書いてしまう傾向がある。たとえば僕の酒田行きのエントリーのような走行記録は、読んでくれた人が追体験するのは僕の走ったコースだったり、僕の見た景色だったりするのではないか。でも多分、Blue-Periodさんのエントリーを読んだ人が追体験するのは「彼」そのものなのではないだろうか。それはまさに「彼が走った証」をなぞるのだ。心を打たれる理由はきっとそれなのだと思う。

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